生きている

仕事が終わって帰宅する途中、広い公園を通っています。特に今日のような寒い日は、じっと我慢しながら小走りに家まで戻っていると、「ヒトという生き物は、なんでこんなことするんだろうか」と思うときがあります。何億というヒトが、毎日のように大勢で窮屈な場所に入って別の場所に移動して、何時間か働いて再び戻っていく。これを何十年も続ける。考えてもみれば不思議なことをしています。そして、朝にどこかへ出かけると、なぜかたいていは元の場所に戻っていく。

どうしてこんなことをしているのか。もちろん家に戻って家族と話をしたり、食事したり、読書したり、寝たり、あるいはこうして何か書きとめたりするためかもしれません。でも、それが本当に自分のやるべきことなのか、あるいは本当に自分がやりたいことなのかは、たぶん自分でもよく分からないのでしょう。或る意味で、ヒトも他の動物と同じように、自分がやっていることの「意味」なんて、本当は分からないし、分かる必要があるのかどうかすらも、実は誰にも分からないのかもしれない。

社会学ではよく知られていますが、「意味」を過度に措定(posit)しようとするのは、或る種の病であるとも言えますが、皮肉にもヒトとして生きている活き活きとした証かもしれないのです。

何か自分でこうしたいと思った目的があったり欲求があって、誰もが仕事を終えると自宅に戻ったりします。どれほど複雑で「凄い」ことをしていても、僕らはヒトという風変わりなサルとして、そういう行動をしたくなる動物の一種にすぎないのかもしれません。でも、僕らはそれを自分達自身で観方を変えて、こうして生きていることは「凄い」ことなんだと思えてしまう。これは謎ですねぇ。どうしてヒトという動物は、こんな能力をもってしまったのでしょうか。

Trifles but they may matter

ささいなこと、でもたいせつかもしれないこと

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