ブランドはサービスがつくるもの

さきほどの続きです。

僕は、現在は実制作の部署にはいませんが、もともと雑誌の編集者もしていましたし、ウェブデザイナーでもありましたし、システム開発者でもありましたし、加えてブランドやマネジメントについても学んだり考えてきた経験があります。

そのうえで言うと、実は something.com とか anything.co.jp といった「独自ドメイン」なんてものは、企業のアイデンティティと「切っても切れない」なんてご大層なものではありません。もっと言えば企業の名前とかロゴマークなんて、実はどうでもいいんです。大企業でもロゴマークや社名を変えることがあります。でも、それだけのことで、その会社が劇的に何か変わるなんて期待するウブな人はいないでしょう。

「株式会社ほげほげ」として旅館を経営しても、お客さんが旅館のサービスに満足してくれて「株式会社ほげほげ」という文字列を記憶してくれさえすればいいわけです。「ほげほげ」という言葉に、何か自分達がやっていることの本質や意味が表現されていなければいけないといった理屈は、僕が大学で研究していた哲学では「言葉の魔術説」と言われる迷信です。「ほげほげ」つまり「ほ」「げ」「ほ」「げ」という四つの日本語の平仮名には、その文字を認知したヒトという動物にどういう反応を引き起こすかという機能があるだけで、それを超えた「意味」なんて実はないし、そういう「意味」があるはずだとか、なくてはいけないなどと言っているブランド理論は、おおよそ言語や認知についての考え方が18世紀のレベルで止まっています。したがって、多くの会社で総務部とか企画開発部とかが社内委員会を作ってやっている、自社の「ブランド」を確立するなんて活動は、僕に言わせれば単なる自己満足であり、仮にロゴマークの印象を調査したりお客さんを巻き込んでいたとしても、時間の浪費です。自社の社員にそういう「お題目」を考えさせて、帰属意識を高めようという経営側の理屈は分かりますが、かける時間に見合った成果は上がりません。

ブランドというものは、その会社が本当に価値のあるサービスを提供していて、それが多くの人たちに正しく受け止められることによって、自ずと「ブランド力」として定着していきます。ロゴマークをナニナニ可士和に作ってもらったとか、コーポレートサイトを株式会社何とかキュールに制作してもらったとか、あるいはブランド規定のマネジメント体制を何とかセンチュアに監修もらったとか、そういう事の一切は広告代理店が得意とするただの「こけおどし」や「はったり」、あるいはそれだけ費用をかけたのだから価値があるはずだという思い込みや「サンクコスト」にすぎず、最初は達成感という自己催眠(集団催眠)の錯覚によって満足できたり、顧客の目を引くかもしれませんが、実質とししての商品やサービスが満足に受け入れられなければ売り上げにもつながりませんから、定着などしません。

Trifles but they may matter

ささいなこと、でもたいせつかもしれないこと

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