僕にとっての「おじさん」
僕には「おじさん」と呼ばれる人について、あまり良い印象や記憶が残っていません。
一人は、僕が中学の頃に亡くなった父の兄です。事情は分かりませんが、心を病んでいたらしく、就職しないで親戚の家を渡り歩いては何日か厄介になったり精神病院へ入っていたりしたそうです。この伯父さんが家にやってきて、この人物がずっとテレビを観ていた姿を見て、僕は「なんだ、この人は?」という印象を受けた憶えがあります。気の毒なことに、かなり前に亡くなってしまいましたが、どういう人物だったのか、両親もあまり語ろうとはしません。
一人は、母親の弟です。確か巨大企業の重役になっていると聞きましたが、既に付き合いもなくなって久しいため、どうされているのかは知りませんし、興味もありません。小学生の頃に、この叔父さんの結婚式へ出席した記憶だけが残っています。どこかのホテルの一室に新郎・新婦の親戚が集まって、それぞれが自己紹介していました。僕が通っていた小学校は名称が長かったため、僕が自己紹介したときは、通っている学校を早口で喋ったために、誰も聞き取れなかったかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいと思っていました。ちなみに、さきほど検索してみたところでは、下の名前(確か婿養子になったはず)では役員に該当者がいませんでした。もしかすると社内抗争の結果によって子会社に飛ばされたりしたのかもしれませんが。
一人は、叔母の旦那さんとして何年か前に亡くなった人物です。建材メーカーの「辣腕営業部長」だったらしく、酒を飲んでは父や他の親戚と悶着を起こしていました。祖母の葬儀を実家の田舎で執り行ったときも、酔っ払った挙句に、僕に向かって「『おじさん』と呼ばずに苗字で呼ぶのは気に食わん」と怒り出し、僕の洋服を掴んで仏壇の前に引きずって行き、「お婆さんの前で反省の言葉を言え」などと言った末に「何を言うとるんや、あんたは!」と怒り出した父親や他の親戚と喧嘩になりました。といったこともあり、当家とは年賀状のやりとりもありませんでしたし、新年やお盆に向こうが焼香を上げに両親が住んでいる家へやって来た時も、両親が取り計らって僕と遭遇しないように日程をずらしていたそうです。ということで、僕はこの人物の後のことを全く知りませんでしたし、知りたくもありませんでしたが、この叔父さんは、晩年は認知症で病院に入ったままだったそうです。
もちろん、お世話になった人物も何人かいるわけです。また、僕にも幾らかの過ちがあったのだろうとは思います。したがって、全ての親戚に悪い印象をもっているわけではありませんし、悪い印象の原因が向こうだけにあるわけでもないのでしょう。実際、僕は親戚付き合いどころか近所付き合いや人間関係そのものを、或る程度は幼い頃から些事だと見做して軽んじていたと思うからです。自分自身から親しみを込めて「おじさん」と呼ぶ人はいませんでしたし、そうしたいとか、そうしなくてはいけないとも思っていませんでした。
正月に集まって話をしていたりするのを横から見ていたときなど、「いい歳をして、程度の低い話ばかりしている」と、僕は「おじさん」たちを馬鹿にしていたと思います。でも、いくら「親戚」とは言っても、ふだんは殆ど付き合いのない、言ってみれば赤の他人に限りなく近い人たちが一堂に会しているわけですから、無理やりの場つなぎや建前としては、当たり障りのない瑣末な話題を口にするしかないでしょう。しかも、もちろん子供ながらに思っていたように、彼らはそうした話題を超えて何かを「議論」するほどの才能も知識もないわけです。そのこと自体は仕方のないことであって、子供が非難したり軽蔑したところで、実はどうしようもないわけです。もし「程度の低い話をしている」などと言えるくらいの子供なのであれば、そうした現実にも気づくべきだったのかもしれません。(とりわけ、最近はサリンジャーの小説を読むことが多いので、余計にそう思います。)
こういう言い方こそが相手を馬鹿にしている「シニカル」な態度だと思われるのでしょう。したがって、そういう態度だと相手に気づかれない「子供」を旨く装うことも処世術の一つであり、これをスキルとして欠落させてしまうと、どれほど高尚な目的をもっていても相手を動かすことはできず、何事も、とりわけ人間関係が必要とされることは実現しないのかもしれません。
0コメント